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21世紀に入って10年目。



六本木ヒルズからの公開生番組で、歌手のJUJU、
ドラゴン桜モデル先生と学歴についての対談から、
スタートした2010年。

私にとっては、仕事、学び、遊び、すべてにおいて
はじめての体験が極めて多い。
そんな1年でございました。

今月は、テレビ朝日を含む
2つの年末特番出演のオファーを断らせて頂きましたが、
おかげさまで、会社の方は、こんなご時世にもかかわらず、
たくさんのご縁で、今期も増収増益を達成し、
今までで一番成績が良い年となりました。
来期は、さらに伸びる見立てで動いております。



そんな、2010年もいよいよ終わり。
2011年の幕が開く。




今までの常識。

終身雇用。
経済は成長するもの。
年金システム。
などなど…

強固と見なされてきたその基盤が信頼性を失っていく中で、
新しく見えてきた「今」という景色。



多くの人は、自分に与えられた「小さな箱」
あるいは自分の獲得した「小さな箱」を
黙々と守るだけの生活を続けている。
そして、何十年か後に死んでいくのだが、
そのことはひたすら考えないようにしている。



インターネット上では、
どちらがえらいか競争をひたむきに頑張る人々が氾濫。
病的な虚栄心に満たされたコンサルタントやネット起業家。
乗せる方も乗せられる方も、結局は単なる消費者にすぎない。
株式会社日本という国からすれば、
奴隷か自発的奴隷かの違いなのか。



「自分たちのようになれ!」と、
今の日本を見て希望を失った人の新たな希望を演出して、
鴨を料理するかのごとく、引きずりまわし、
孤独を許してはくれない現代の奴隷社会。

街では、少し耳をかたむけると、
「民主党が悪い」「バカ総理大臣をどうにかしろ」など
耳触りの悪い声があちらこちらから聞こえてくる。
それと同じように、
インターネット上というバーチャルな世界においても、
身元も素性もわからないニックネームにて、
自分は安全な場所にいながら、
人の失敗や醜態をネタに卑下し、
叩くいわゆる炎上を演出して楽しんでいる。



しかし、誰も「そういうオマエはどうなんだ」と言うことはない。



そもそも、なぜそんな現実が現われたのか?
現在の若者はさとり世代とも呼ばれているそう。
中道、中庸な生き方のつもりなのだろうが、
そもそも自我という器もできていない時点で、
魂は磨くことはできないだろう。
けれども、
そういう選択をとってしまう心境は分からないではない。

インターネット社会になった「今」は、知識だけであれば、
検索すれば簡単にでてくるようになってしまった。
(もちろんながら、今でも一部の深い情報になると
検索してもでてこない場合が多い。)
昔は、情報の差異で優位性を保ちあぐらをかいていた利権者たちも
少しは重い腰を上げたかもしれない。

なぜ、若者が中道、中庸の選択に好意を抱くのか?
それは、一言で言うと「失敗したくないから」に尽きると思う。
リスクはとりたくない、でもリターンはほしい。
そこでもってこいなのが、
バーチャルな世界というインターネット。
結婚をしたくないのも、現在の日本の制度だと、
リスクとリターンが見合わない、
また、恋愛としても、失敗をしたくないという思いが強い。
そして、バーチャルな疑似恋愛ゲームの海に、
どっぷりとはまっていく。

現実との折り合いをつけるため、
迫りくる不安をかき消すかのように、
インターネット上にて、人の失敗や醜態を叩いて、
うさばらしをして現実から逃避する。



もちろん、プロとしては逃げるなら、
いや逃げれるくらいなら、
リングに上がるなという意見もあるだろう。
しかしながら、その人たちを悪いとするのはあまりにも短絡的だと思う。
そうすると、その現実を生んだのは、
今の日本であり、社会であるのだろうか。
いや、きっと双方に問題があるのだろう。

確かに、今の社会のルールは、利権者ではない私たちにとっては
不利な構造になっている。
だから、勘のいい若者の言葉を代弁すると、



「なぜ、そんな不利なルールにわざわざ乗らなきゃいけねーんだよ!」



というところだろうか。
まあ、分かりやすい例を1つあげると、
例えば年金システムひとつとってみても、
冷静に分析してみたら、
年寄りが有利すぎて笑えてくるのかもしれない。
彼らからすると、



「なんで、わざわざ搾取されるためにがんばんなきゃいけねーんだよ!」



というとこだろう。

インターネットがもたらした便利さの弊害を考えると、
こうなるのは自然の摂理なのか。
インターネットは、私たちから「間」を奪い取ってしまった。
間やためがないがゆえに、そのぶん深みや感動がなくなるのだ。



例えば、カメラがデジタルカメラになって一番何が失われたのか?
それは、シャッターをきって、どんな写真がとれたのだろうと
現像までドキドキワクワクするという
あの「間」が失われてしまった。
デジタルカメラでは、
すぐにどういった写真がとれたかを確認できてしまう。
それと、同じ現象がインターネットによって起こっている。
つまり、勝負がすぐについてしまうのが
インターネットの世界なのだ。

なので、勘違いしたり、
まわりも見えず何かに打ち込んでいたりして、
いつの日かぱっと身体にずっしりと刻み込まれる「あっ」という、
あのしびれる様な「change the world」はないだろう。



つまり、すぐに勝負がついてしまうがゆえに、
勘違いさえも許されないというシーンが、
今もそして今からも様々な場面で起こってくる。

例えば、便利がゆえの弊害としてはしょうがないのだろうが、
自分は歌がうまいと勘違いして、
自分が熱唱した姿を
ユーチューブでアップするとどうなるだろうか。
もちろんながら、
便利だからちょっとした工夫でたくさんの人に見てもらえる。
だからこそ、勝負は一瞬でついてしまう。
そう、便利だからこそ、そこに至るまでの「間」が短いのだ。
そして、たくさんの人に見てもらえるからこそ、
たくさんの人に叩かれるリスクももちろんある。
タイミングによっては、
立ち直れないほどの傷を負う者もいるだろう。
だからこそ、その間をもがく事を許されない若者は、
より一層その現実と向き合いたくなくなるのかもしれない。



そういった様々な現象により、強固とされてきた基盤が崩れゆき、
さまざまな常識が常識ではなくなっていく過程という貴重な機会に
今、私たちは立たされているのだと思う。
勝ち組負け組なんて過去の産物で、
最先端のリング上では、もはや負け組なんて存在しない。



文字どおり、勝つか、死ぬか。



そこに、生ぬるい「間」はなく、
ただ、ものすごいスピードでその「実」が繰りかえされる。
常識とされてきた強固な地盤なき今、
自分にとってどれが正解かは自分にしか分からない。
分かりやすい希望を失った人々は、
自分で判断し選択しなければいけない時代になった。

そして、考える力やリテラシーなき大衆は、別の希望を求め、
マスコミに誘導されるがまま、民主党を選んだのだろうか。
まるで、第一次世界大戦後のドイツが
ヒトラーを選んでしまった時のよう。
まさに、歴史は繰り返されるとはこの事。
だからこそ、他人に影響を与える立場の役割を担う若い世代は、
動くのも一つの選択肢だろう。

はっきりいって、人の人生なんて、
善悪のらせん状をかけぬける風のようなもの。
中道、中庸の生き方もあるのだろうが、
人はその善悪の振れ幅によって進化してきた。
だとすれば、役割を担う人は、



薬か毒か。



でいいのだろう。

今の時代、昔の常識を胸に抱いて、
リングから降りてしまった人には、
ものすごく生きにくい時代の到来でしょう。
ついこないだ、母と話していたら、
私の年齢の時のことを思いだして、
その時と今のあまりの違いに、
まさかこんな時代になるとは…と感慨深く言ってましたが、
それが、高度成長期を経験した年配者である
多くの人たちの本音だと思います。

めまぐるしく変化する「今」を豊かに生きるには、
どれだけ長く需要があり、
どれだけ世の中に必要とされる自分でい続けられるかが、
鍵となるのでしょうか。
一年という節目に、
外でなく内へ目を向けるのもいいかもしれませんね。

所詮、若造の戯言です。
しかしながら、プリントアウトして
何度も読んでますという様な声も頂いており、
今年も大きなお世話をたくさん書いてしまいました。
つたない文章がゆえ、
私が伝えたい事が伝わったかは謎ではありますが、
それはそれとして、お互い、
めまぐるしい今の積み重ねを楽しみましょう。
来年もどうぞよろしくお願い致します。




2010年12月28日
進藤 慈久