間もなく2012年という。



1995年17歳。
高校在学中に初めての起業。
早いもので来年で17年目。

時とは早いもので、そこから16年たつ今。
経験が長いバカにだけにはなりたくはない。

事業の方は、あの時と同じ。
偶然という重なり合いによって生まれた
希有なご縁。
おかげさまで、このご時世にもかかわらず
増収増益。

今年を振りかえると
他国への挑戦。

てめえの根拠のない本能で、
「もっと幸せになっていいと思う」と
東京から引っ張ってきたスタッフも
今や会社の中心で業務執行代表を担う存在になった。
四畳一間から、家族を呼んで広い家に引越し。
役員会でも責任を全うした数値を見せる。

そんな充実した表情を見てると、
いい意味の「変化」という事実が多々あったなと感じます。



編集裏後記へつづく
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「てめえが一番バカでいい」



「自分が最低だと思ってればいいの。
 みんなより、一番劣ると思っていればいいんだよ。
 そしたらね、みんなの言っていることがね、
 ちゃんと頭に入ってくる。
 自分は偉いと思っているとね、人はね何も言ってくれない。
 てめえが、一番バカになればいいの。
(そしたら)何でも言ってくれるの。」



赤塚不二夫の言葉だ。
まさにこれでいいのだろう。

しかし、逆に急速に広がりゆく「どちらがえらいか競争」
現実とは残酷なものだ。

コンサルタントに食い物にされる自称コンサルタント。
自己啓発教祖に踊らされる起業家もどき。

どっちもどっちか。
信者ビジネスの教祖か
はたまた信者か
の違いにすぎない。

それらが増えてる有様をみて、
『まだやってるのか…どうしようもないな。』
と思う方も少なくないだろう。

また、これだけ増えたらさすがに、
滑稽な洗脳茶番劇にふと気づく、



『あっ!単なる独裁者ゲームのコマだったんだぁ!』



みたいな、
まさに目が覚めた感覚を味わった方も多いかもしれない。
まぁ、目が覚めようが、
残念ながら、人間なかなか変われるものではない。



「結局のところ、そんな個人は混沌として
 多くの情報に飼いならされながら無力をかこち
 滑稽な予言者が何をなすべきかどこへ行くべきかを
 見つけだすまで哀れな忍耐心で待ち続ける」




この構造が変わることはない。
しかしながら、こういう滑稽な予言者に群がる人たちが
増えれば増えるほど、
一部の人が儲かる資本主義の仕組みそのものが
美しいとも感じる。

つまり…極論を言ってしまえば、
そうやってバカを量産してくれる人が増えれば増えるほど
一部の人が儲かるわけで、
なんとも言えない切なさが募る。



なぜ、こんなにも頭がいいバカが多いのか?



安易な答えなら簡単。
「現実から逃げるからだ。」
「現実と闘争しろ。」
こんな事は誰にだって言える。



問題は、なぜ逃げるのかだ。



ニヒリズムが蔓延してる今だから
視座を上げて話をしたい。



人間は小さな球の上で
眠り起きそして働き
後世への神話を残し
死んでいく。

後世への神話となる人生。
後世がどう解釈しどう感じるか
あるがままにゆだねる。

ただできる事をできる人がやる。
やり続ける。
それを言語化する。

それが縁という偶然によって
価値連鎖していく。

価値連鎖のために
自らが消えていく。
人の寿命とはよくできた仕組みだ。



しかし神話を意識した人生を歩めている人は
驚くほどに少ない。
現実から逃避し続ける多くの人間にとっての人生。
神話などからは程遠い景色がある。

そんな人間が望むように、すべてが規格型になり
大量生産になり、非個性的な教育を受け
ベルトコンベアに乗せられて、生涯を墓場へ歩んでいく。



流れの中にいて流れの速さを把握するのは難しい。
同様に。
今の世がどのような世であるかもそうと認識するのは易しくない。

感覚的な反応は頻繁に生じても
感覚どまりで拡散させてしまう時のほうが
思考に統合して運び上げてゆく時よりも多いので
せっかくの反応も自分で立ち消えにしてしまっている。

しかしながら、こう自覚できている者は驚くほどに少ない。
現在の現実逃避型の他人に責任をなすりつけなければ
生きていけない依存型の陳腐な快楽主義者の生産工場が
次々と量産されていく。

誘惑されたから堕落した。
影響されたから悪くなった。
こういうずるい卑怯な考え方が蔓延する。



では、堕落する人間はもともと堕落する弱い人間なのか?



恥知らずが多くなると
当たり前のことが
当たり前で通用し難くなり
当たり前が肩身の狭い思いをする。



1995年17歳。
高校生での初めての起業。
人材派遣会社だった。
きっかけは偶然というご縁。

しかし早かれ遅かれ。
子供の頃から社会への違和感を感じており、
その事が大人への猜疑心を生んでいた。
独立心は人一倍高かった。



違和感の一つ。
資格や学歴という印籠。
1995年。
力なきものが印籠を振りまわして稼げていた時代。

そして、2011年。
既に、そんな中身のない印籠を振り回して稼げる時代は終わった。
当たり前だ。
驚きもしない。
むしろ力なき者が生きていける方がおかしかったのだ。



じゃあ、親に言われて頑張った時間は無駄だったの?



いや、そうではない。
何がだめで何がいい。
そんな浅ましい二元論を言いたいわけではない。
直線的なリニア思考をやめろと言っているのだ。
常なんぞこの世にないのだから。



人間は弱い。



人は誰かに承認されなければ生きていけない。
人生は承認をめぐる闘争なのだろう。



私たちは、自分の名前を自分でつけていない。



つまり生まれてきた瞬間から自己であることをおわされる。
最初から負荷がかかっている。
しかも自分の責任ではない。
なのではじめから自己存在をめぐる闘争にはいる。



そうやって生まれてきた人間に力を与えてくれるのは
全面的に生まれてきたことをよろこんでくれる誰かしかない。
母親だ。

その愛情と自分の意志。
これが最初にこじれると、闘争の基礎資本を欠いてしまうから
非常にきつい。
埋めないといけない。
埋めるためにいろんな工夫をする。

その埋めるための闘争が、「人生」そのもの。
そう。
まさにいま、書いている事そのものを探す旅だったのだ。
書けていない事もたくさんあるが、
大枠の詳細は著書「高卒社長」に書いたので割愛。



これが「高卒社長」のエネルギーの根源だった。
今は、全面的に承認してくれる母性本能の強いパートナーに出会い
闘争の基礎資本を得て、走り続けている。

まだ、母からの全面的な承認を得られた実感はないが
そのおかげで、今の私があるわけである。
皮肉だが現実とはこういうものだ。



今では、そんな母に心から感謝している。



20代の頃までは、親への反感などを強く発した事があった。
若気のいたりとはいえお恥ずかしい限りである。
今では、生ある限りその勢いのままでいてほしいと感じている。
承認されないと感じるならば、その親を承認し、
そして自らが承認する親になればいいだけの話なのだ。



そしてその為には何が必要か。



20代後半あたりを皮切りに
もやもやが続き
32になった時。

そんな当たり前の事に、ようやく気づいた。
もやもやから逃げないで走りながら考え続け
気づけた事。
心から本当によかったと感じている。
これが親亡き後であるならば、どれだけ後悔したことか。

もちろんながら、この結論はある一面的な今の視点だ。
生を受け入れる以上、旅は続く。
まぁ、ここに至る立体的な言葉にならない部分や
とてもお見せする事ができない苦しみ抜いた
プロセスそのものがギフトなのだろう。

明らかにこの事に気づいた前と後では景色が違う。
書いたのは、あくまでも一つの視点としての結論だけだ。



何かが終わる。
スペースができる。
では、そこに何を描くか。




何かが終わるとは何かが始まる兆し。
それをしっかり受け入れた上で
ゼロからスタートする第二の人生。

私はたまに少しブレーキを踏んでしまう時がある。
それが善い時もあれば悪い時もあるだろう。
新たにはじまる場では、アクセルを踏みっぱなしで
違う次元まで飛んでいけるようなことができればいいなと
感じている。

最後に、今まで関わってくれた全てのスタッフや
いつも楽しみにしてくれる希有なあなたに
感謝を込めて、心からありがとうございました。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「日本のこれから」という環境を見ると、
被災の影響もあって、(だけではありませんが)
産業の空洞化は避けられないでしょうし、
日本を去る企業もある事でしょう。
当たり前ながら、日本依存の製造業なんかは、
電気料の引き上げや電気供給の不確実さによって、
壊滅的なダメージを受けるのは目に見えますし、
それによって、賃金の低下や雇用の低下は間逃れないでしょう。

さらに、世界経済はますます厳しい状態になりますし、
色々な意味で日本は取り残されるので、
復興特需が終焉をむかえる1〜3年後、
日本経済は今以上に厳しい状態になっている可能性があります。
実際問題、復興特需によって業績が上がる一部の企業も
確かにありますが、そこで調子に乗ってしまうか、
それとも1〜3年後に来る厳しい状態に向けて、
改革を進めるかでものすごく大きな差となる事でしょう。

まあ、今まで以上に厳しい環境は明らかなわけで、
いい事ばかり言い、希望を演出する輩は、何らかの意図があるか、
場合によっては詐欺の疑いがあると思っていいかもしれません。
こういうみんながしんどい時期に、
こういう輩が増えるのは構造的必然ですから。
やる方もやる方ならば、
やられる方もやられる方かもしれませんが…

今年も例年に引き続き、私ごときの若輩者が、
つらつらと地味でおもしろみのない当たり前の事を、
ニヒリズムが蔓延した現代だからこそ、自分への戒めもふくめて、
あえて大きなお世話で書いてきましたが、
そろそろ筆を置きたいと思います。

来年もどうぞよろしくお願い致します。



2011年12月29日
進藤慈久

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集裏後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

まあ、幸せなんて十人十色。
私たちの会社は世間の中心でやられている大手とは違う。
少人数規模の小さな田舎の企業にすぎない。
ただ、淡々と日々なすべき事を逃げないでやっているだけの事。

ネイチャー誌にも載っていたが、よほどの天才でない限り
「関係が手広いほど身を滅ぼす可能性が高い」というのが、
生態系でも成立する可能性がある普遍則のよう。
来年も小宇宙で当たり前の事を当たり前にやる大前提の上で、
色々と物事に挑戦していきます。